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ドラマの中ですべてを描く

ドラマはドラマの中ですべてを描かなければならない――。
どれほどのベストセラーであっても、それをドラマ化する場合は、未読の視聴者を対象にして描くのが筋だ。

しかし、NHKドラマ8「バッテリー」は、どうもその部分がおろそかにされているような気がしてならない。

主人公の原田巧(中山優馬)は自分が投げる剛速球に自信を持っていて、その才能ゆえに孤独なのだと3話で語られるのだが、ドラマを見る限り、彼を無条件に受け入れる友達はいるし、思いを寄せる女の子もいる。弟は慕ってくれるし、祖父も、野球部の監督も理解がある。
いったい、それのどこが孤独だというのだ。

原作では、おそらくそのあたりが納得のいくように描かれているのだろう。
そして、その中から仲間を得ていく過程が読みどころなのだろうが、ドラマではあっさり(巧の投げる球を受ける、見る、打席に立つだけで)、みんなが彼を認めてしまう。

脚本の相良敦子は原作を読みすぎたのかもしれない。
読みすぎたから、自分の中で巧の孤独が周知のこととなり、本来はそれにまつわるエピソードを書き込まなければいけないのに、勝手に書いた気になって(視聴者に伝わっていると思ってしまい)、彼の武勇伝ばかりを並べてしまったのだろう。

結果、原田巧は孤独ではなく、むしろ恵まれているとしか思えない主人公になってしまった。
恵まれている人間が、いくら理屈をこねて学校の風紀検査に文句をつけても、野球部の規則(坊主にする)を守らなくても、それはもはやワガママにしか映らない。

それでもなお彼が孤独だと言うなら、それは才能ゆえではなく、性格ゆえだろうと、皮肉の1つも言いたくなる。
いずれにしても、主人公のことが好きになれない、応援したくならないドラマというのは困ったものだ。
【この文は4話までを見た感想です】

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